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うれいの年表

1973年  なみうち、生まれる

1984年  高橋うぃるこ、生まれる

1990年  高橋うぃるこ、イレブンフーズに出会う

1996年  麺ラー塾結成

初代塾長 ボボ
副塾長  くろだ
塾員   なみうち
      もりみつ
      えみり etc.

初代塾長ボボ

初代塾長 ボボ

初代副塾長くろだ

初代副塾長 くろだ

塾員なみうち

塾員 なみうち

 「20世紀末でらしね音楽企画は存亡の危機を迎えていた。たまりには常に2人しかいなかった。森光大と浪打真彦である。
 彼らはその惨めさに2人で互いのゼファーとビラーゴを飛ばし日吉近辺のラーメンを喰いまくっていた。あの頃焼肉、ラーメン、ラーメン、焼肉が二人の主食であった。

 そこに救世主が現れる。ジャズ研との交流よりでらしねに急接近してきたボボ(旧姓堀川)である。

 彼は常に旧三田二郎店舗にならび続け、当時二郎のおとっさんの後ろで働く奥様には、水は出されない、きちんと並んでるのに、はみ出てると怒られるなどの、かなりの人種差別うけ、今ではそこは待ち合わせのメッカとしての銅像が立てられているほどである。

 でらしねの急速な活性化とともにボボは二郎普及のため不眠不足で活動を続ける。そして迎えたのが黒田博子の台頭である。彼女は目黒二郎に吸い込まれるよう目黒に居住、一時は最低でも大W完飲、最高でも大W完飲とあしげく通いつづけた。

 以後もボボ&黒田タッグはちょいと足を伸ばせば、ここに二郎がある、あそこに元でらしね二郎勢力図を真っ赤に染めていった。この二人の精力的な二郎旋風は、目黒二郎をすべてでらしねで埋め尽くす快挙をも成し遂げた。

 その後も黒田は妹分大畑絵美里をラーメンの聖地早稲田に居住させ、ボボ、黒田、絵美里のラーメン巡行は繰り広げられた。
 その情報を聞いては森光、浪打はバイクで食べに行くという非常に楽な立場であった。

 しかしあれから10数年久留米出身の森光はこう語る。『本当のとんこつラーメンは東京には無いと・・・』

・・・と、なみうちは語る


2002年 麺ラー塾、謎の解散


 21世紀初頭、でらしねは再び消滅の危機を迎えていた。たまりもなくなり、日吉には常に2人しかいない状況であった。池上翔と高橋うぃるこである。私等はその惨めさに日吉をあきらめラーメンの聖地早稲田に進出を考えていた。高橋うぃるこのお気に入りであった「べんてん」に池上翔はひどく感銘を受け、麺ラー塾再開の機運が高まりつつあったのである。

・・・と、高橋うぃるこは語る

2004年04月 麺ラー塾再開

二代目塾長 高橋うぃるこ
副塾長    はやしゅ
塾員      いけがみ
         そね
         アイ派ラ
         くあがた etc.

二代目塾長 高橋うぃるこ

二代目塾長 高橋うぃるこ

二代目副塾長 はやしゅ

二代目副塾長 はやしゅ

塾員 いけがみ

塾員 いけがみ

     05月 くあがた、初めてマイク・タイソンを倒す

     07月 塾員、急激に増え始める

     08月 第一回総会を開く

     08月 合宿を行う

     11月 鍋二郎会を開く

2005年05月 第二回総会を開く

2006年07月 第三回総会を開く

2008年02月 第四回総会を開く

2011年05月 第五回総会を開く


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うれいの年表

麺ラー塾の歴史はこちらを参照せよ。麺ラーを愛する心は昔から受け継がれていることがわかるだろう。

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思い出の写真たち

過去の写真を独断と偏見でセレクトした。お暇な方はゆっくり観覧してください。

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